年収総額6,000万円超はどう設計されたか|メドレー社『Applied AI Developer』にみるAI人材の報酬モデル
メドレーが発表した新職種「Applied AI Developer」を材料に、成果報酬と株式報酬を組み合わせた採用モデルの可能性と、自社で検討する際の前提条件を、海外事例を交えて整理します。
近年、採用マーケットで圧倒的な存在感を発揮し続ける企業には、共通する行動パターンがあります。それは、「まだ周囲が躊躇している段階で、将来当たり前になる本質的な施策を、勇気を持って一番最初に実行している」ということです。
こうした文脈において、日本のAI人材採用の在り方に一石を投じる極めて先駆的な発表がなされました。株式会社メドレーが2026年8月より運用を開始する、新職種「Applied AI Developer」の設置です。
この一見すると“発明”のようにも思えるドラスティックな施策が、なぜ今、日本の採用市場において決定的な意味を持つのか。その構造と、私たちが向き合うべき本質について分解していきます。
制度の概要
本制度は、エンジニア・デザイナー・プロダクトマネジャーの中から「圧倒的なスキル・経験・実績を持つ」人材を対象に、上級執行役員の審査を経て認定するものです。
特筆すべきは、これが単なる外部向けの「飛び級採用枠」ではなく、既存社員も対象に含めた地続きの人事制度である点です。同社のプレスリリースでも「これまで1人では成し得なかったような業務効率化・生産性向上を実現するなど、大きな成果を創出するエンジニアが現れ始めました」と言及されており、社内に眠る突出した才能の市場価値を正当に評価し、最大化させるという明確な意思が伺えます。
最も象徴的なのは、その本質的な報酬設計です。基本給のレンジは同レベルの他ポジションと共通に保ちながら、「半期ごとの成果賞与」と「評価RS(譲渡制限付株式)」を積み増す二層構造を採用しており、最高評価における年収総額は6,000万円超に達するといいます。「AIが自律的に回る仕組みを設計・構築し、開発プロセス全体をリードする」という極めてJob Size(職務の大きさ)の大きいポジションに限定することで、単なる金額の吊り上げではない、事業インパクトに紐づいた大胆な設計を実現しています。
なぜ発明的に見えるのか
日々支援先企業の採用に関わっていると、「AI活用人材の採用強化に伴って待遇を個別化したい」という相談は、この一年で確実に増えてきました。多くの企業がまだ「既存の給与テーブルの中でどう工夫するか」に留まっている中、テーブルごと切り離す設計に踏み込んだ点が目を引きます。
三つの要素の組み合わせが新しいと感じます。
一つ目は、基本給を据え置いたまま成果連動部分だけを変化させた点です。日本企業の多くは「ポジション全体の給与レンジ」を引き上げる形でAI人材に対応しようとしますが、これは既存社員との公平性の問題を必ず引き起こします。メドレー社の設計は、レンジそのものは変えず、成果に応じた上乗せだけを別建てにすることで、この摩擦を最小化しています。
二つ目は、短期(賞与)と中長期(株式)を両方使う点です。賞与だけでは「今期の頑張り」しか買えませんが、株式を絡めることで、優秀な人材が中長期で会社の成長にコミットする理由をつくれます。
三つ目は、評価軸を実績本位にしたことで、結果的にバックグラウンド不問の採用が可能になる設計にしていることです。これは日本の採用市場では珍しい発想です。
海外の先行事例
似た発想の先行事例は米国にもあります。実績本位、株式の「型」、報酬の「要素」という3つの角度から見ておきます。
まず、実績本位という評価軸です。Palantirの「Forward Deployed Engineer」は、学歴や経歴を問わず、実績と適応力だけで評価する方針をとっており、メドレー社のアプローチとも近く。ハードウェアエンジニア出身で、Sparkやマイクロサービスに触れたことがない人材が採用され、現場でキャッチアップして活躍する例が公式ブログでも紹介されています。メドレー社が評価軸を実績本位に置いたことも、この系譜に重なります。
次に、株式の「型」です。メドレー社が選んだのがSO(ストックオプション)ではなくRS(譲渡制限付株式)だった点は、競争の激しいテック人材を口説く海外の潮流と符合します。金額の大きさ以上に、株式を「どんな型で渡すか」が問われるようになっています。
SOは株価が行使価格を下回ると無価値になりますが、RSやRSU(譲渡制限付株式ユニット)のように株式そのものを渡す型は、株価が下がっても価値がゼロにはなりません。この違いは、上場・非上場で使い方が分かれます。
上場企業:SOではなくRSUを株式報酬の中心にするのが一般的です(Carta)。GoogleやMeta、Amazon、Microsoftといった大手テックがその代表例です。株価という客観的な参照点があり、値動きがあっても価値がゼロになりにくいため、競争率の高い人材にも「投機ではない報酬」として提示しやすいのが理由です。
非上場企業:調達フェーズ後期の有力スタートアップは、株式を渡す型をSOから「ダブルトリガー型RSU」(一定期間の在籍に加えて、上場や買収などの流動化イベントが起きて初めて権利が確定する二段構え)へ切り替える例が増えています。流動性のない株式に課税されて現金で納税する、という候補者側の負担を避けつつ、株式のアップサイドは渡せます。ただし、流動化イベントが来なければ確定しないリスクは候補者に残ります。
そして、報酬の「要素」そのものを増やす動きも出始めています。米国では、給与・賞与・株式に次ぐ「第4の報酬要素」として、AI推論リソース(GPU・計算資源)を報酬項目に加える議論が始まっています。ベンチャーキャピタリストのTomasz Tunguz氏は、給与・賞与・株式に「推論コスト」を加えた4要素になると指摘しています。ソフトウェアエンジニアの年収で上位25%にあたる基本給37.5万ドルに、年10万ドルの推論予算を足すと総額47.5万ドルとなり、推論が総報酬の約2割を占めるという試算です。
実例も出ています。ある上場サイバーセキュリティ企業では、ジュニアに月800ドル、シニアに月1,600〜4,000ドルの推論予算を設定しているとされています。企業側も採用の武器にし始めていて、Metaは、OpenAIやAnthropicから研究者を引き抜く際に、潤沢な計算資源(GPU)へのアクセスを、研究者が集まる理由の一つに挙げていると報じられています。合わせて候補者も、面接で「入社後にどれだけのGPU・推論枠を使えるか」を尋ねるようになりました。
報酬を金額だけでなく「何を実行できる環境か」で捉え直すような発想について、日本ではまだこうした議論はほとんど出ていません。ですが、今後のAI活用のポジションでは、金額だけでなく「どんな環境で挑戦できるか」が口説き文句の一つになっていくかもしれません。
自社での再現を左右する前提条件
自社で近い制度を検討する場合、以下の3点が実質的な前提条件になります。
資金力・企業体力
この設計が成立するのは、株式を大盤振る舞いできるだけの体力があるからです。メドレー社は東証グロース上場企業で、株価という客観的な参照点があります。同じ設計を未上場・小規模スタートアップがそのまま真似ると、以下の問題が顕在化します。
未上場株には流動性がなく、換金できない株式に候補者が本当に魅力を感じるかは不透明
株式の希薄化が既存株主・既存社員への負担として跳ね返る
業績悪化時に株価が下がれば「約束された報酬」が実質的に目減りするリスクを、候補者側が一方的に負う
株式価値の説明能力
上場企業でも株価は変動するため、付与時点の想定価値と、実際に権利確定・売却する時点の価値は必ず乖離しえます。
非上場の場合はそもそも参照する市場価格がなく、第三者評価やDCF、類似会社比較といった算定に頼らざるを得ません。候補者から見てこの株式が本当にいくらの価値なのかを納得感のある形で説明するのは、想像以上に難易度が高い作業です。
加えて日本の税制上、譲渡制限付株式は権利確定時に給与所得として課税されるのが基本で、含み益にすぎない資産に対して現金で税金を払うという資金繰りリスクを候補者本人が負うことになります。ここを丁寧に説明できない設計は、後からトラブルになりやすいところです。
社内公平性への向き合い方
「圧倒的なスキル・経験・実績」という評価基準は、本質的に主観が入ります。上級執行役員による審査というプロセスも、外から見ればブラックボックスになりやすいところです。
同じ会社の中で、AI関連ポジションだけ特別な報酬体系が存在することに、既存社員・非対象職種がどう納得するかは、制度設計以上に運用の丁寧さで決まります。
実行に向けての課題
評価基準の言語化: 「非連続な成果」「仕組みの自律化」を誰が見ても同じように判定できる基準に落とし込む必要があります。半期の賞与は測りやすいものの、株式付与に関わる中長期評価は属人的になりがちです
市場価値のベンチマーク更新: AI人材の市場価値は数ヶ月単位で変動します。一度設計した報酬テーブルもすぐ陳腐化するため、継続的な見直し体制が必要です。
リテンションの逆説: 株式による長期拘束を狙っているはずが、株価が下がれば逆に引き止め効果を失います。他社、特に海外からのオファーに常にさらされる前提での設計が必要です。
母集団の限界: 「圧倒的な実績を持つ人材」を口説くには報酬だけでは足りず、裁量・意思決定権・技術的挑戦度が同時に提示される必要があります。メドレー社が対象ポジションを「Job Sizeが大きいもの」に絞っている点は、この意味で強い合理性を感じます。
今後トレンドになるか
今後、同様の設計を打ち出す企業は増えると見ています。日本国内だけの給与テーブルでは、グローバルで非連続に高騰するAI人材の市場価値に太刀打ちできなくなる企業が増えるはずだからです。上場していて資金力のある企業から先行して、成果報酬と株式を組み合わせた「特定ポジション限定」という設計は広がっていくと考えます。ジョブ型人事の延長線上として受け入れられやすい土壌もできつつあります。
一方で懸念もあります。中小・非上場企業が表面だけ真似て、株式価値の説明が曖昧なまま「株式付与」を謳うケースが出てくるリスクです。また日本の労働慣行・税制のもとでは、米国ほど身軽に導入できない制約(解雇規制、株式報酬の税務処理、会社法・金商法上の手続きなど)も残ります。全業界にすぐ広がるというより、上場企業や体力のある企業から段階的に広がり、中小企業には形を変えて波及していく、という見立てを持っています。
自社で導入するときのステップ
私たちが導入について相談を受けたら、という仮定で検討事項をまとめてみました。
対象範囲が曖昧で、株式価値の説明責任を果たせる体制もないまま制度だけ先行させると、候補者や既存社員との期待値のズレが後から表面化しやすいためです。
対象範囲を先に決める。新規採用限定にするか、既存社員も含めるかを最初に決めます。メドレー社は既存社員も対象にしていて、それによって「特別な採用枠」ではなく「人事制度」として機能しています。採用だけに絞ると、既に実績を出している社員のリテンション効果は得られません
株式は約束ではなくリスク資産だと正直に伝えます。楽観的な期待値だけを提示すると、後のミスマッチ・離職の火種になります
株式価値算定の透明性を先に整えます。第三者評価や直近ラウンドのバリュエーション根拠を示せない状態で、株式報酬モデルだけ導入しないことです
評価基準とガバナンスを先に言語化します。「非連続な成果」の定義、審査体制、異議申し立て手続きを制度設計の前に決めておきます
対象ポジションを絞ります。全社に広げず、事業インパクトが大きい少数ポジションに限定して、資金体力とのバランスを取ります
既存社員・非対象職種への説明責任を果たします。なぜこのポジションだけ別建てなのか、事業上の必然性を丁寧に説明します
税務・法務の専門家を早期に巻き込みます。株式報酬の課税タイミング、譲渡制限の設計、会社法上の手続きは専門知識が前提になります
報酬だけでリテンションを図らないようにします。裁量・技術的挑戦・意思決定権とセットで設計しないと、報酬は他社にすぐ上書きされます
時代にあった本質的な採用施策に向き合っていくために
メドレー社の今回の取り組みは、最高6,000万円という金額のインパクトや、株式を活用した報酬設計の妙に目を奪われがちです。しかし、この事例から私たちが本当に学ぶべきは、単なる制度のテクニックではなく、「時代の変化に合わせて自社の人事・採用のあり方を根本から再定義した姿勢」そのものです。
過去の採用マーケットを振り返ってみても、常に大きな存在感を発揮し、優秀な人材を引き付け続けてきた企業には明確な共通点があります。それは、「従来の会社がやっていなかったけれど、実は極めて本質的であり、かつ将来的に当たり前になること」を、リスクを恐れず、勇気を持って一番最初に実行していたということです。
今回のメドレー社の設計も、現時点では「発明的な特例」に見えるかもしれません。しかし、AIがビジネスの前提となり、優秀な人材の獲得競争がグローバル規模で激化する数年後には、これが「日本市場における新たなスタンダード」として定着している可能性は十分にあります。かつて一部の先進企業が始めた「エンジニア採用の個別推進」や「採用広報」が、今や当たり前になったのと同じようにです。
前例のない新しい施策に踏み切るには、社内の摩擦や運用の難しさといった多くのハードルが伴います。しかし、「前例がないから」「リスクがあるから」と現状維持に甘んじていては、激変するマーケットで選ばれる企業になることはできません。
自社がこれからの時代に対応した本質的な採用施策に向き合っていくために必要なこと。それは、表面的な報酬額の模倣ではなく、「自社の事業成長にとって、今本当に必要な制度とは何か」をゼロベースで問い直し、他社に先駆けて一歩を踏み出す勇気を持つことではないでしょうか。今回の事例は、まさにその「ファーストペンギン」としての勇気の価値を、私たちに強く示してくれています。
参考情報
永井涼平
HRdev代表
レバレジーズ、クラウドワークス等を経て2021年にHRdev創業。18年以上エンジニア採用の最前線に立ち、ログラス・MFS・SALESCORE等の支援実績を持つ。
